小倉貴久子 活動の記録

2001年

☆2001年1月30日 音楽の友ホール

小倉貴久子ピアノリサイタル

シリーズコンサートベートーヴェンをめぐる女性たち

共演者:小森輝彦(バリトン)

オール・ベートーヴェンプログラム

クラヴィーアソナタ イ長調 作品101、変イ長調 作品110、ホ長調 作品109、

連作歌曲「遙かなる恋人に寄せて」作品98

[当演奏会のチラシに記載された情報から]

 聴きどころ  

 ~アントニア・ブレンターノとドロテア・エルトマン~

ベートーヴェンが亡くなった直後、部屋の秘密の引き出しからそれぞれ異なる女性が描かれた二枚の「細密画」とベートーヴェンによって書かれた恋文が友人によりみつけられました。

 その手紙の文中で「不滅の恋人」といわれている相手はしかし、名前が明かされていません。その上、日付はあるが年が書かれていないなど、その手紙は様々な謎に包まれているのです。この恋人は様々な変遷を経ましたが、近年の研究により、ほぼアントニア・ブレンターノに間違いないであろうと言われています。

 この恋文が書かれたのはベートーヴェン42歳の夏ですが、それから10年ほど後に彼は3曲のピアノソナタ(作品109,110,111)を作曲しています。それらの作品は「ブレンターノのソナタ」ともよばれています。「不滅の恋人/アントニア」と結ばれることはありませんでしたが、時を経て「遙かなる恋人」に変わりながら心の中に生き続ける恋人にこれらのソナタは捧げられたのです。

 作品101のソナタの献呈をベートーヴェンから受けているドロテア・エルトマンはベートーヴェンの弟子であり、彼のピアノ曲の演奏にかけては、技術の点からも解釈の上からも申し分のない当時のウィーンで定評のあるピアニストでした。ベートーヴェンも、彼女を「親愛な、貴重なドロテア・ツェツィーリア(音楽の守護聖女)」と呼びかけるほど敬愛していました。

○3月7日 国立音楽大学 6-110スタジオ

レクチャー・コンサート オリジナル楽器で聴くベートーヴェンのピアノ曲

主催:国立音楽大学音楽研究所「ベートーヴェン研究」部門 お話 平野 昭 藤本一子

ベートーヴェン クラヴィーアソナタ 嬰ハ短調 作品27-2 「月光」、ニ短調 作品31-2 「テンペスト」、変イ長調 作品110

 

○3月24日 源寿院会館本館コンサートホール

まちかどコンサート 名曲コンサート~春の音~

主催:財団法人葛飾区文化振興財団

共演者:平野真敏(ヴィオラ)

ショパン:英雄ポロネーズ、幻想即興曲、ドビュッシー:月の光 亜麻色の髪の乙女、パガニーニ:ラ・カンパネラ

 

☆4月8日、9日 近江楽堂

小倉貴久子クリストーフォリコンサート

ジュスティーニ:チェンバロ・ディ・ピアノ・エ・フォルテすなわちいわゆる小さなハンマー付きチェンバロのためのソナタ、他マルチェッロ、プラッティ、スカルラッティ、ヘンデルの作品

☆2001年5月16日 日本福音ルーテル東京教会
桐山建志 小倉貴久子 デュオコンサート
ベートーヴェン:クラヴィーアとヴァイオリンのためのソナタ作品30 全3曲 他

[当演奏会チラシの記載情報から]

聴きどころ

 ベートーヴェンは1802年の秋に、耳疾による悩みから有名な「ハイリゲンシュタットの遺書」を書きます。その遺書の中でベートーヴェンは、生きる世の辛さを苦悩に満ちた表現で記しながら、一方で芸術への深い思いを、作曲することを自分に課された使命との自覚を深めてゆきます。遺書を書いたことは、自分の運命と面と向かい合うきっかけになったのでしょう。この壁を越えたベートーヴェンは、英雄的様式といわれる中期の時代に入ってゆきます。
 ちょうどこの脱皮期に書かれた作品30のソナタは、それまでの常識では考えられないような大胆な手法が散りばめられています。ベートーヴェン自身が「新しい道」と表現した、3曲の作品は、それぞれの曲が個性豊かで全く異なる性格をもち、かつセットである必然性をもっています。

 ヴァイオリンの桐山建志とフォルテピアノの小倉貴久子は、共に「ブルージュ国際古楽コンクール」のソロ部門で優勝しています。1964年に始まった古楽器を扱うコンクールとして最も権威のあるこのコンクールは、なかなか1位を出さないことでも知られており、これまで日本人のソロ部門での優勝者は、75年の有田正広以来このふたりのみです。ヨーロッパで正統を学び、かつ強烈な個性を放つふたりのデュオコンサートが、ここに実現しました。

 

○6月24日 相模湖交流センター
小倉貴久子ピアノコンサート

主催:相模湖交流センター
ハイドン:カプリッチオ ハ長調、ベートーヴェン:幻想曲風ソナタ「月光」、リスト:メフィスト・ワルツ第一番、ブラームス:2つのラプソディー、ドビュッシー 「喜びの島」

清流 2001年7月号 「人々」のコーナーより

小倉貴久子 ~古楽器が奏でる時代の様式感に魅かれて~

 文=関原美和子 撮影=小尾淳介

 

フォルテピアノの“衝撃”

 初めてフォルテピアノ(ドイツ語でハンマークラヴィア)に触れたとき、小倉さんは、それまで学校で学んできたことが、単なる頭の中の知識にすぎなかったことを実感した。軽やかでいてしっとりした音色。何ともいえない豊かな音感。

 モーツァルトやベートーヴェンの時代は、チェンバロやフォルテピアノなど、今でいう「古楽器」で作曲された。これらの楽器で演奏することで、彼らの音楽をより理解できるかもしれないーー。そう思ってフォルテピアノに触れてみると、古典派やロマン派といった古き時代の“様式感”が、自分の中に染み込んでくるのがわかった。「それまで『モダン・ピアノになるまでの中途半端な楽器』だと思っていたのが、大きな間違いだったと気づいたのです」

 

「絶対音感」も気にならず

 23歳のとき、オランダに留学。オランダは古楽器の演奏がさかんで、修復された現役のものから、新たに作られたコピー楽器まで数多くある。コンサートもあちこちで開かれ、しかも低料金で楽しむことができる。小倉さんが古楽器に触れたのも、特別なことではなく、ごく自然な出会いだったのだ。

 留学を終えて、帰国を八月に控えた1993年6月、友人に「ブルージュ国際古楽コンクール」への参加を依頼される。参加を予定していたピアニストが出られなくなったため、急遽フォルテピアノの代役を求められたのだ。同音楽祭のアンサンブル部門は、三年ぶりの開催だった。

「遊び程度で弾いただけだったので、これはもう、必死に練習しなければと思いました(笑)」

 コンクールまでの一ヶ月。知り合いの楽器製作者の工房に通い詰め、独学で楽器を弾く毎日が始まった。本格的なフォルテピアノの練習は、驚きの連続だった。タッチやペダルが、ピアノとまるで違う。

「膝で押し上げるペダルは、初めての経験でした」

 音域も、モダン・ピアノの七オクターブに対し、五オクターブしかない。ピッチ(音の高さ)も、ピアノに比べて半音近く下がる。絶対音感(ある音が鳴ったときに、その音がどの音階かわかること)を持っている音楽家にとっては、モダン・ピアノとピッチが異なる古楽器の場合、むしろ絶対音感が邪魔することもある。そのため、古楽器になじめない演奏者もいるという。

 ところが、小倉さんはそうしたことが苦にならなかった。

「不思議と、フォルテピアノに触れればフォルテピアノの、チェンバロならチェンバロの、もちろんモダン・ピアノならモダン・ピアノのピッチに、頭が自然に切り換えられる。タッチも、その楽器に合わせたタッチになるのです」

 いよいよ当日。「あんなに膝がガクガクした経験は初めて」というほど緊張したが、予選で緊張感を十分味わったせいか、本選では楽しんで演奏できたという。そして見事優勝。

 魚が水を得た如く、古楽器に出会った小倉さんはのちに、同コンクールのフォルテピアノ部門でも一位を獲得した。

 

音に「色」を感じるとき

 日本に戻ると、知り合いのベルギー人やオランダ人の古楽器製作者に依頼し、アントン・ヴァルター(フォルテピアノの一種)やチェンバロなどの楽器を所有。モダン・ピアノとともに、積極的に古楽器の演奏も行っている。

 日本でも近年、古楽器の演奏会は珍しくなくなったが、それでもまだ一般的にはなじみがうすい。初めてフォルテピアノの演奏を聴いた観客は、音がとても小さく感じるため、演奏に違和感を持つという。モダン・ピアノとフォルテピアノは、弦の太さも材質も異なる。モダン・ピアノの音を“鉄の力強さ”という言葉で表すとすれば、フォルテピアノは“木のしなやかさ”だろうか。モダン・ピアノに慣れている耳には、最初は小さいと感じるのも無理はない。しかし、慣れてくるうちに、音量の幅の広さや音の豊かさに気づいてゆくという。

 また古楽器が演奏された時代は、現代のような大きなホールではなく、こぢんまりとしたサロンでの演奏会が多かった。プライベートな限られた空間で奏でられる音は、今の時代に私たちが感じるよりも、ずっと迫力ある音だったに違いない。

 ピアノは、鍵盤を押し下げたとき、その先についているハンマーが上がり、弦を打つときに音が出るしくみになっている。フォルテピアノは皮巻きの小さなハンマーで細い弦を打つため、弱い力で張られている。そのため一音を出すごとに、他の弦も同時に共鳴するので、人の耳では聞こえない高い「倍音」までもが生じる。

「そのため、音に『色』ができるんです。繊細だけど力強い、凛とした音質。そんなところがフォルテピアノの一番好きなところです」

 古楽器の魅力を語りながらも、小倉さんは「古楽器を演奏したい」というより、作曲家の「音楽」を表現するための手段として、古楽器を選んだのだという。

 日本のクラシック界は、古楽界やモダン界などというように、演奏者をジャンル別に分けがちだが、「ただの『ピアニスト』でありたい」と小倉さん。そのため、コンサートでは、古楽器を弾くときもあれば、モダン・ピアノのときもある。演奏する作曲家も固定しない。

 

 オランダでは地方ごとにオーケストラがあり、地元の人たちが気軽に通う風景を見てきた。地域がオーケストラを支え、クラシック音楽が日常生活の一部になっている。演奏家の名前ではなく、「音楽」を聴きに行くその姿勢に、小倉さんは感動した。そして小倉さん自身も、リラックスしながら気軽に聴きに行ける、そんなコンサートをめざしている。

「少しでも時間ができれば、ピアノをひいていたいというくらいピアノが大好き」

 そう語る小倉さんは、そのやわらかな雰囲気から、観客が演奏会後にふんわりした気持ちになれる「倍音」のような魅力を持った人だ。

☆7月23日 日本福音ルーテル東京教会

ウィーンのモーツァルト

共演者:大西律子(ヴァイオリン)、三宮正満(オーボエ)、坂本 徹(クラリネット)、塚田 聡(ホルン)、岡本正之(ファゴット)

[オール・モーツァルト・プログラム]ドイツ舞曲 K.586、ヴァイオリンソナタ 変ロ長調 K.454、ピアノと木管楽器のための五重奏曲 変ホ長調 K.452 他

9月~11月 ウィーン、オランダへ研修旅行


「オランダ便り」2001年

 小倉貴久子は2001年9月上旬より末までウィーン、ドイツで作曲家ゆかりの地を訪ね、10月から11月23日までをオランダで過ごしました。夫の塚田 聡、また旅行中に6歳の誕生日を迎えた咲子の3人で音楽の旅を楽しみました。貴久子は1991年より2年間オランダで過ごし、聡は同じ時期に1年間暮らした経験があります。10年前のオランダと比べたり、演奏会を聴いたり、また音楽の名所を写真付きでレポートします。

モーツァルトと咲子(猿ではありません)!


音楽の名所を訪ねて 2001年

 9月にオランダに着き落ちつくと貴久子、聡、咲子の3人はウィーン、ザルツブルク、アウグスブルク、アイゼナハ、ボンへの音楽の旅に出ました。写真と共に訪れたところを紹介します。

 

ウィーン Wien

 

 アムステルダムからウィーンまでは寝台車で向かいました。3段ベットで鍵のかかる個室コンパートメント。快適な旅の始まりです。

 ウィーンに到着し最初に訪れたのが、「芸術歴史博物館」 Kunsthistorisches Museum です。毎夏そこの楽器の修復の携わっている山本宣夫さんと波多野みどりさんにお会いしました。KHMと略される「芸術歴史博物館」はフランツ・ヨーゼフ1世によって1881年から1913年にかけて建築された「新王宮」内にあり、その古楽器コレクションは12の展示室からなるオーストリアの音楽史に沿った歴史順の展示がなされた大規模なものです。鍵盤楽器は16世紀後半に製作されたスピネッティーノから始まります。ウィーン古典派の時代に3室を割き、そこでヴァルター製の楽器やエラールの楽器を見ることができました。幸運なことに山本さんを通じて、副館長のRudolf Hopfner氏を紹介していただき彼から詳細な説明を受けることができ、それに止まらずこれらオリジナルの楽器を弾くことが許可され大半の鍵盤楽器を試奏することができました。翌日には館長のHuber氏を交えた彼等の前で、現在修復中の楽器を用い小演奏会を修復室の中で催しました。思わぬ歓待を受け感激のKHM滞在でした。山本さん、波多野さんに感謝。

 5泊したウィーン滞在中、精力的に作曲家に関する名所を訪れました。以下訪れた順に簡単なコメントをつけながら紹介しましょう。

 

 ブルクガーデン Burggarten 

 あまりに有名なモーツァルトの銅像 Mozart Denkmal にまず挨拶。

 

 メルカーバスタイ Moelkerbastei のベートーヴェン記念館、パスクヴァラティハウス Pasquaratihaus 

 ブルク劇場間近のメルカーバスタイは、かつて堡塁であり小高い丘になっています。そこの5階にあったベートーヴェンの家からの見晴らしは良く、引っ越しの多い彼の生涯の中で最も長期にわたり住んだ住居というのもうなずけます。1804年から1808年、そして再び1810年から1814年の間継続的に住み、交響曲第4、第5、第6やフィデリオなどの傑作が生み出されてゆきました。

 ここではナネッテ・シュトライヒャー Nanette Schtreicher の5つのペダルをもった楽器を見ることができました。

 ティーファーグラーベン Tiefergraben のベートーヴェンの家

 「1815年から17年までベートーヴェンが住んだ」「opus 101, 102, 98, 106, 137」と書かれたタイルでできたレリーフが壁に埋め込まれています。この通りには他にも、モーツァルトが最初のウィーン旅行の際に滞在した「家具職人の家」や、3度目の訪問で泊まった「フィッシャーの家」があります。

 

 コッラルト伯爵邸 Palais Collalto

 1762年10月9日、6歳になるモーツァルトがウィーンで初めて演奏会をした会場。神童モーツァルトの物語がこの建物での演奏会から始まったのです。この4日後にモーツァルトはシェーンブルン宮殿でマリア・テレージア女帝に謁見しています。マリー・アントワネットとのあの微笑ましいエピソードもこの滞在時に生まれたものです。

 

 モーツァルトの長男ライムント(夭折)が誕生した家

 1783年長男が生まれるときに住んだ家で、静かで小さなユーデンプラッツ Juden Platz という広場に面しています。私たち3人はこの広場のカフェでモーツァルトの家をみながら一休みしました。

 

 大町陽一郎氏宅を訪問

 ベートーヴェンと縁の深い貴族の館、ロプコヴィッツ侯爵邸は、ウィーン国立劇場の裏手を少し行ったところに今でも豪華な構えを見せています。そのロプコヴィッツ侯爵邸の向かいに指揮者、大町陽一郎氏のウィーン宅があり、短い時間でしたが、山本さんと波多野さんと共にお邪魔させていただきました。建物の中に入るとまず、ビロードのベンチを備えたエレベーターが迎えてくれ、そのゴージャスさに圧倒されます。大町さんからは、シュトゥルム Sturm (嵐の意)という白ワインになる前段階のワインとブドウジュースの合いのこのような季節物のおいしい飲み物で歓待していただき楽しい時を過ごしました。

 

 シューベルトの生家

 37番の市電はウィーン市中から重要な2つの博物館を通ってハイリゲンシュタットへと通じます。ウィーンの音楽を愛する者にとっては重要な路線。まずヌスドルファー通り駅で降り、シューベルトの生まれた家へ。コの字型になった部屋数の多い裕福なこの家からはシューベルトの幸せな幼少時代が偲ばれました。シューベルトには兄弟が13人います。父親はこの地で学校経営をして成功していました。

 エロイカハウス Eroicahaus

 さらに市電にのり坂を登ってデーブリング Doebling に入ると右手にエロイカハウスが現れます。1803年に住んで交響曲第3番「エロイカ」を作曲したであろうと言われているこの家も記念館となり公開されています。ただしここには楽器もなく絵画が飾られているだけのこぢんまりとした家でした。

 

 ハイリゲンシュタット Heiligenstadt

 さらに37番の市電で終点までゆくとハイリゲンシュタット公園のベートーヴェンの立像が我々を迎えてくれました。この道を歩いているような手を後ろに組んだ散歩スタイルのベートーヴェンが半円のアーチに囲まれています。

 一度坂を下り、また登りプファール広場 Pfarrplatz に出ると1817年5月から2ヶ月間ベートーヴェンが暮らした黄色い家があります。この家の中はホイリゲ Heurige といって近郊でとれた新酒を飲ませるレストランになっています。ハイリゲンシュタットでは、ぜひホイリゲでワインを、と思ったのですが、どこのレストランも夕方からの営業で今回は果たすことができませんでした。ホイリゲではシュランメルン兄弟などの音楽が小バンドによって陽気に奏でられ、そのバンドに一聴の価値があるということです。

 そのプファール広場からホイリゲの並ぶ通りを少し行くと、ベートーヴェンの「遺書の家」があります。1802年10月にふたりの弟に対し書かれた「ハイリゲンシュタットの遺書」について改めて紹介する必要はないでしょう。ここでは様々なエピソードが回想され当時のベートーヴェンの心境についてしばし思いを巡らせました。

 遺書の家を出て今日ベートーヴェン・ガング Beethovengang(ベートーヴェンの小径)と名付けられている小川に沿った道を歩きました。この道は「田園交響曲第2楽章」の楽想を得たところとして有名で、遺書の家とセットで訪れる人が多い道です。ベートーヴェン・ルーエ Beethovenruhe の銅像が川辺に建っています。そこから気まぐれに北側の山を登ってみました。登り切り南側斜面をみると広大なぶどう畑が広がっています。ベートーヴェン当時の雰囲気を感じることができたような気がしました。

 その日はさらにハイリゲンシュタットから4番の地下鉄に乗り、テクニカル博物館とシェーンブルン宮殿に足を運びました。テクニカル博物館 Techinisches Museum は波多野さんの勧めで行ってみました。さすがにウィーンにある博物館。楽器のメカニックを紹介する大きな部屋があり、鍵盤楽器が歴史順に、内部のメカニックが紹介されながら系統立てて理解できるように配置されていました。そしてヘッドフォンで各楽器の音色を試聴することができるゆうになっていて、この部屋だけで十分に楽しめました。その博物館から徒歩数分でシェーンブルン宮殿 Schloss Schoenbrunn です。17世紀末レオポルト1世が建築に着手し、18世紀半にマリア=テレジア女帝が増改築し気品のあるゴージャスな今日の姿になりました。中にはモーツァルトやハイドンが自ら指揮をし作品を上演した宮廷劇場 Teatro de palacio があります。ただこの日は5時を過ぎてしまい内部の見学をすることができませんでした。庭園からグロリエッテ Gloriette という丘の上にある凱旋門に登ることが出来ました。

バーデン Baden

 

 ウィーンの南方面25キロにあるバーデンはモーツァルトとベートーヴェンにとってゆかりの地で、私たちは一日を割きバーデンへの旅に出ました。ウィーン国立劇場のはす向かいから「田舎電車バーデン行き」 Lokalbahn nach Baden という路面電車が出ています。ウィーンの街から次第に遠ざかるにつれ右側に森が広がってきます。そうすると間もなく温泉町で有名なバーデンに到着。電車は街の中心広場ヨゼフ広場に着きます。街中歩行者天国になっていて街中は買い物を楽しむ人たちで溢れていました。ラートハウス小路の一角には1821年にベートーヴェンが「第九」を書いた家があります。黄疸を湯治するための滞在でもありました。ベートーヴェンが滞在していた2階は簡単な記念館になっていますが、開館時間が各日2時間ずつしかなく、入ることができませんでした。歩いても数分で回れてしまうバーデンの街には他にも記念すべき建物がいくつもあります。次に我々が訪れたのはモーツァルトが「アヴェ・ヴェルム・コルプス Ave Verum Corpus 」を作曲した家です。モーツァルトの妻コンスタンツェが湯治のため度々バーデンに滞在したので、モーツァルトの場合は妻の見舞いのためにこの街を訪れたことになります。モーツァルト最後の年1791年に彼がバーデンを訪れた際、街のシュテファン教会の合唱長アントン・シュトルにコンスタンツェがお世話になったことの謝礼の意味でこの合唱曲を作曲し献呈しました。家の壁には立派なレリーフが埋め込まれていました。シュテファン教会 St.Stephan の内部にも入ることができました。シュテファン教会のはす向かいに位置するエリアにはベートーヴェンが序曲「献堂式」作品124を書いた家、またシューベルトやヨハン・シュトラウスが滞在した家があります。バーデンの北方には温泉公園 Kurpark という気持ちのよい公園があります。その公園に入るとヨハン・シュトラウスとランナーが手を取り合った銅像が迎えてくれます。その奥にはモーツァルト聖堂 Mozart Tempel が、さらに上に登るとベートーヴェン聖堂 Beethoven Tempel があります。ベートーヴェン聖堂から望むバーデンの街がとてもきれいでした。

 

メートリンク Moedling

 バーデンから電車でウィーン方面へ少し行くとメートリンクという街があります。この山辺の街はベートーヴェンとシューベルトのお気に入りの街で私たちも一度は訪れてみたいと思っていたので、途中下車をして歩き回りました。こぢんまりとした現在でも魅力的な街でした。ハンマークラヴィーア Hammerklavier を書いた家荘厳ミサ Missa Solemnis を書いた家を訪れました。

再びウィーン

 

 ハイドン記念館 Joseph Haydn - gedenkstaette

 ハイドンがオラトリオ「天地創造」と「四季」を書いた家、つまり1797年から死まで住んでいた家は現在ハイドン記念館になっています。清楚で整ったこの家から信心深く規則正しい生活を送った彼の生活が偲ばれました。ハイドン記念館の一室はブラームス記念館 Brahms - gedenkraum として公開されています。ここにはブラームスが所有していたクラヴィコードが展示されていました。

 

 フィガロハウス Figarohaus

 これまで訪れた作曲家の記念館は閑散としていて大抵私たち3人だけが訪問者でした。しかしここシュテファン大寺院近くのフィガロハウスは各国の訪問者で溢れていました。モーツァルトはここに1784年9月から87年7月まで住み、ケッヘル400番台後半にあたる自主演奏会で演奏されたピアノ協奏曲や「フィガロの結婚」などの傑作を生み出してゆきました。

 

 その後、国立劇場までの道をくねくねとシューベルティアーデが集まった跡地モーツァルト最後の家の跡地モーツァルト最後の公開演奏会(ピアノ協奏曲第27番)が行われたオットー・ヤーンのホール跡地を巡りながら行きました。

 

 市立公園内のヨハン・シュトラウス2世像 Johann Strauss 、ブルックナー像 Anton Bruckner シューベルト像 Franz Schubert 。またカルルス広場 Karlsplatz のブラームス像 Johannes Brahms に挨拶をしウィーンに別れを告げました。

 

ザルツブルク Salzburg

 

 モーツァルトの住んだ家 Mozarts Wohnhaus

 ミラベル宮殿の庭園を抜けマカルト広場に出ると正面にモーツァルトの家があります。ここは1773年、モーツァルトが17歳の時にゲトライデガッセにある生まれた街から越して住み始めた家です。舞踏学校のあとで相当大きな屋敷です。この頃モーツァルト家は、コロレド伯と長期休暇の許可を得られる得られないでもめていましたが、これほど大きな屋敷に住まわせてもらっていたモーツァルト家は、なんだかんだ言って当時からザルツブルクの誇りだったのでしょう。内部はモーツァルト博物館になっています。ウィーン市の記念館と異なり、日本語のイヤホンガイドが付いていたり、小映画館が付いていたりと力の入った博物館で楽しめました。

 モーツァルトの生家 Mozarts Gebrtshaus

 大学時代、病的にモーツァルトに憧れていた私は、地図無しで歩けるほどザルツブルクの街を隅々まで頭に描いて楽しんでいました。実際のザルツブルクは想像以上に美しい街でした。

 ゲトライデガッセ getreidegasse という目抜き通りにモーツァルトの生家は面しています。同時テロの犠牲者に対する弔旗が掲げられていました。モーツァルトの弾いていたヴィオラ、ヴァルターのピアノがありました。室内の展示もさることながら、窓辺から外を眺めつつ幼少のモーツァルトがこの景色を見ながら何を考えていたのだろう、などと想像すると楽しくなります。

 ザンクト・ギルゲン St.Gilgen

 ザルツブルクの駅前から出る郵便バスに乗って50分。山の中にヴォルフガング湖が広がっています。その湖畔の街、ザンクト・ギルゲンはモーツァルトの母親、アンナ・マリアが生まれた街です。アンナ・マリアの父親はザンクト・ギルゲン地区の司法総監督を務めた人で、今でもその家は地方裁判所として活用されています。裁判所としては異常にこぢんまりとした建物の中の一部屋がモーツァルト記念館になっているのがユニークです。モーツァルトの姉ナンネルも結婚後この母親の実家に住んでいたことがあり、建物の壁にはふたりの顔が彫られたレリーフがありました。そこからしばらく坂を登るとかわいらしい市庁舎があります。その前にはモーツァルトの泉 Mozartbrunnen という、少年モーツァルトがヴァイオリンを弾いている像の立つ泉がありました。なお私たちはザンクト・ギルゲンから船で対岸に渡りシャフベルク山に登山鉄道で登る旅を楽しみました。

 

アウグスブルク Augsburg

 

 ザルツブルクからドイツに入り最初の宿をアウグスブルクに定めました。アウグスブルクはレオポルト・モーツァルト Leopold Mozart の生まれた街で、モーツァルトのいとこのベーズレ Baesle がいたり楽器メーカーのアンドレアス・シュタイン Andrean Stein が活躍していたり古典派音楽を愛する者にとってやはり通り過ぎることのできない街です。レオポルトの生まれた家は現在モーツァルト記念館として公開されています。シュタインの楽器が展示されていて、見学者のために係りの人がその楽器で弾いたモーツァルトのソナタをテープで流してくれました。モーツァルト記念館で買ったパンフレットの裏面の地図に従いベーズレが住んでいたところとシュタインの家を訪れましたが、いずれも具体的な家を特定することが出来ませんでした。

アイゼナハ Eisenach

 

 ヴァルトブルク城を背後にもつアイゼナハの街はとても清楚で美しい街でした。私たちにとって初めての旧東圏でしたが、壁が無くなってから10年、今や旧西圏との違いを見つけることは不可能なほどここアイゼナハでは全てが整っていました。もちろんアイゼナハに来たのはJ.S.バッハ Johann Sebastian Bach と逢うためです。バッハの生家は小さな広場に面した所に落ちついたたたずまいを見せていました。そしてその右手には大きな銅像が広場を見下ろしています。ここでの見学者もあまりいなかったのですが、一階の楽器展示室で当時の楽器を聴かせてくれる時間にちょうどあたり、クラヴィコードとスピネット、小型のオルガンを2台の音を聴くことができました。オルガンはいずれも人力オルガンでその内のひとつは、ひとりの聴衆がひもを引っ張り役としてかり出されるというユニークなオルガンでした。バッハの生家らしい渋く落ちついた家でした。アイゼナハのマルクトに面したセント・ゲオルグ教会 St.Georg Kirche はバッハが洗礼を受けた教会です。入り口を入るとまずバッハの銅像が迎えてくれます。バッハの時代には代々のバッハの親類がこの教会のオルガニストを務めていました。

ボン Bonn

 

 長期に渡った私たちのオーストリア、ドイツ旅行の最後はボンです。アイゼナハからの移動に半日を費やしたので短い滞在でしたが、ベートーヴェンの生家にあるベートーヴェン・ハウスをゆっくりと見学し、シューマン記念室にも行くことができました。ベートーヴェン・ハウスはウィーンの杓子定規的な記念館と異なりベートーヴェンへの愛の感じられる家で気に入りました。展示室は12部屋もあり、ベートーヴェンのヴィオラ、グラーフ製のハンマー・クラヴィーア、ベートーヴェンの生まれた部屋など興味深いものの他に、多数のベートーヴェンの自筆の手紙、スケッチブックなど垂涎の展示物がありました。このベートーヴェンハウスでゆっくりとした後、駅の反対側にあるシューマンの家に向かいました。かなり迷いながら到達したシューマンの家は市立音楽図書館の中にありました。シューマンの部屋は当時、精神病医リヒャルツ博士の療養所の一部であり、シューマンが死ぬまでこの療養所に入院していたとのことです。現在は音楽関係の書物、CDなどを扱う図書館になっていて、冬にはシューマンの室内楽作品を中心としたコンサートが2階で開かれるということです。

アムステルダム Amsterdam

 

 オランダの誇る作曲家と云えば最後期ルネッサンス時代に活躍したスウェーリンク Jan Pieterszoon Sweelinck がまず第一にあげられます。スウェーリンクはアムステルダムの旧教会 Oudekerk のオルガニストを務め、オルガン曲、ヴァージナル曲、数多くの合唱曲を残しました。旧教会の柱にレリーフがありました。

写真

1:芸術歴史博物館

2:ティーファーグラーベンのベートーヴェンの家のタイル

3:エロイカハウス入り口

4:シェーンブルン宮殿のグロリエッテ

5:ベートーヴェン聖堂からバーデン一望

6:ハイドンの家

7:モーツァルトの生家

8:モーツァルトの泉、背後はザンクト・ギルゲンの市役所

9:案内表示板

10:マルクト広場のベートーヴェン像

11:旧教会内のスウェーリンクのレリーフ


演奏会を聴いて 2001年

 ウィーンとオランダではできうる限りのコンサートに足を運びました。6歳の娘がいるため、夜の演奏会は貴久子、聡が交互に出かけました。足を運んだ全てのコンサートをご紹介します。聴いた人をカッコ内に示しました。

 

 ウィーンにて

 

2001年9/13  Volksoper Wien

G.Verdi : La traviata

[貴久子]熱気に包まれた芝居小屋といった雰囲気。日本でいえば歌舞伎座のような場所なのでしょうか。ステージからどの席も近く一体となったホールで、響きはそんなにありません。雲の上の別世界のような雰囲気ではなく、言葉がはっきり聞こえウィーン市民の実生活からかけ離れていない自然さがよかったです。

9/15  Volksoper Wien

J.Strauss : Die Fledermaus 

[聡]フォルクスオーパーでオペレッタを観劇したいという夢がかなえられました。一流の演奏のもつピリピリとした感じはないのですが、オペレッタはかくあるべし、というリラックス感と上質な雰囲気があり、酔いました。

 

9/16  Wiener Staatsoper

W.Hiller : Peter Pan

[3人]ウィーン国立劇場のファミリー向けプログラム。ピーターパンは日本で咲子の大のお気に入りの絵本だったので、言葉がわからないのに食い入るように見ていました。安い料金でボックス席で観劇できた両親はそれだけで満足。

 

9/16  Wiener Musikverrein

D.Barenboim  Chicago Symphony 

G.Mahler : Symphonie Nr.7

[聡]自分にとって初めてのアメリカのオーケストラの生演奏。技術的に最高水準にあるオーケストラだということは知っていましたが実感。音程のぶれも含めたミスのようなものは一切ありませんでした。楽友協会ホールという空間に助けられてかヨーロッパの香も醸しだしていて、アメリカのオーケストラに対する認識を覆されました。アンコールはバレンボイムがアメリカのテロ事件に触れ、ヨーロッパとアメリカの友好はとりわけ重要というスピーチをした後、R.Wagner : Vorspiel zu Act 3 von Meistersinger を演奏。 

オランダにて

 

9/30  Kasteel hackfort  Vorden

Arcadia Amsterdam

W.A.Mozart Hoornkwintet in Es K.407

Boccherini Strijktrio in D Op.14 nr.4

L.v.Beethoven Sextet in Es Op.81b 

W.A.Mozart Musikalischer Spass K.522

[聡]ナチュラルホルン奏者のTeunis van der Zwart氏に招待を受けオランダ東部の田舎町にあるお城でのコンサートへ行って来ました。テュニィスは現在オランダで最も注目を集めているナチュラルホルン奏者です。ホルンを吹く人なら分かる通り、このプログラムを1日で演奏できる人はそうはいません。音楽的にも素晴らしいコンサートでした。

 

10/3  Concertgebouw Amsterdam

dir. Claus Peter Flor  cello. Truls Mork  Koninklijk Concertgebouworkest

Diepenbrock Elektra-suite

R.Schumann Celloconcert

J.Brahms Derde symfonie

[聡]コントラバスもフランス式の弓の持ち方で、弓圧が抜けたリラックスした明るいサウンド。コンセルトヘボウオーケストラはオランダ人の「いい加減さ」が良い感じに結実していて、聴衆も否応なく幸福感につつまれます。

 

10/4  Concertgebouw Amsterdam

3日と同じ演目、演奏者

[貴久子]何年かぶりのコンセルトヘボウオーケストラの演奏会、曲の良さも手伝って酔い心地良く幸せな気分に。

 

10/6  Bethanienklooster 

Lara Diamond (sopraan), Chie hirai (forte-piano), Antonio Salar-Verdu (klarinet), Niels Meliefste (Slagwerk)

Maud Sauer Ergens/ooit, Otra Vez

F.Schubert Impromptu Op.90 no.4, Der Hirt auf dem Felsen, Seligkeit

[聡]ザウアーという現代音楽の作曲家とシューベルトという組み合わせの一風変わった演奏会。オランダは「古楽」と並び「現代音楽」についても相当力を入れている国です。フォルテピアノを使って現代音楽というのもオランダならではのことでしょう。フォルテピアノを弾いた平井千絵さんは、2001年のブルージュ国際古楽コンクール、フォルテピアノ部門で第3位を受賞した人です。健康的な人柄のにじみ出た快演が素敵でした。

10/7  Concertgebouw Amsterdam

dir. Roy Goodman  Radio Kamerorkest  Sop. M. van Kralingen 

B.Britten Les illuminations op.18

K.Weil Tweede symfonie

[3人]子供割引が用意されている日曜午前11時からの日曜コンサートシリーズ。聴き慣れない曲でしたが、あこがれのロイ・グッドマンの指揮ぶりを見ることができました。さっそうとした演奏に反し、ちょっとずんぐり体型でした。終演後はカフェで彼と隣の席になりました。

 

10/8  Concertgebouw Amsterdam

dir. Ton Koopman  The Amsterdam Baroque Orchestra

H.I.F.v.Biber Battalia 'Sonata di marche'

U.W.v.Wassenaer Tweede concerto armonido in Bes gr.t

J.S.Bach Vijfde Brandenburgse concert in D gr.t., BWV 1050

A.Vivaldi Concert in b kl.t., op.3 nr.10, RV580

C.Farina Capriccio stravagante

J.S.Bach Derde Brandenburgse concert in G gr.t 

[貴久子]相変わらずトンは元気。活気のあるテンポ(時に走る)と大胆な音楽づくりで楽しませてくれました。ビーバーはコントのようでした。ブランデンブルク協奏曲の第5番はフルートのハーツェルツェットが天上の音色で宇宙の響きを聴かせてくれました。バロック音楽の楽しさを存分に味わえた一夜でした。

 

10/9  Concertgebouw Amsterdam

dir. David Zinman  viool. Thomas Zehetmair  cello. Heinrich Schiff

Tonhalle-Orchester Zuerich

J.Brahms Akademische Festouvertuere in c kl.t., op.80

Concert in a kl.t., op.102 voor viool, cello en orkest

Vierde symfonie in e kl.t., op.98

[聡]CDで聴くジンマン、トンハレのベートーヴェンは二番煎じ甚だしい無思想なものと評価をくだしていましたが、実演に接したら決してそのようには聴こえませんでした。オーケストラの腕前もなかなかのもの。一時鳴りを潜めていたチューリッヒ・トンハレですが、ジンマンと共に再浮上してきているな、と実感しました。

10/13  Concertgebouw Amsterdam

dir. Jos van Immerseel  Anima Eterna Symfonie Orkest

J.Brahms St.Antoni Koraal, op.56

Selectie uit 'Hongaarse dansen'

J.Strauss jr. Ouverture 'Die Fledermaus', Czardas, Nordseebilder, Neue Pizzicato Polka, Aegyptischer Marsch, Furioso Polka

[3人]19世紀ウィーンの楽器を用いての「ハンガリー」をテーマにした演奏会。例えばホルンはウィンナホルンを使用していました。ウィンナワルツ独特の「酔っぱらい的後打ち*」は作曲当時の習慣ではなかったということで、時代考証派の演奏家らしく正確な後打ちを刻んでいました。ウィーンフィルが築き上げてきた伝統にはなんらの価値を認めないと言わんばかりの、至上的に楽譜をよく読み込んだ演奏でした。

*一説によると、酔った楽員が面倒だとばかりに2拍目をつっこんで演奏したのが定着した、という話があります。

 

10/14  Concertgebouw Amsterdam

dir. & viool. Jan Willem de Vriend  piano. Ronald Brautigam  Combattimento Consort Amsterdam

W.F.Bach Sinfonia in F

J.Haydn Pianoconcert in D

Boccherini Casa del diavolo

[聡]コンバッティメント・コンソートはモダン楽器をほぼ完全に古楽奏法で演奏するというオランダらしい演奏団体。ブラウティハムは5オクターブのフォルテピアノでハイドンを演奏していました。立ってエネルギッシュに演奏するコンバッティメントと颯爽と弾ききるブラウティハムのマッチングも良く、好感度高い楽しい演奏会でした。

 

10/20  St.Nicolaaskerk Amsterdam

Cappella Nicolai  o.l.v M.Hedley

J.Vinders Missa Stabat Mater

J.des Pres Ave Maria, Nesciens Mater, Tu solus, qui facismirabilia

H.Isaac Missa Solenne

[3人]アムステルダム中央駅に面して立つカトリックの教会、セント・ニコラース教会で毎土曜に催される無料コンサート。この日はルネサンス時代、フランドルの合唱曲を楽しみました。各教会で催されるこのようなコンサートに訪れるのもヨーロッパならではの楽しみです。

 

10/20  Concertgebouw Amsterdam

dir. N.Harnoncourt  piano. Pierre-Laurent Aimard  Koninklijk Concertgebouworkest

Dvorak Pianoconcert, Het gouden spinnewiel, De watergeest

[貴久子]アーノンクールはコンセルトヘボーオーケストラの首席客演指揮者というポストについていて、現在とても楽員とうまくいっている様子が窺えました。客をしびれさせるカリスマ性が思いの外あり、人気の秘密が理解できました。

 

10/21  Concertgebouw Amsterdam

piano. Aldo Ciccolini

Debussy 12 Preludes boek 1

Liszt 6 Consolations, Funerailles, Mephisto Polka, Rigoletto Paraphrase

[貴久子]歴史に残るような良い演奏だったのではないでしょうか。世界一テクニックがあるのではと思わせるような余裕があるテクニック。美しい音を聴かせてくれました。最初の一音から現実を離れその世界に聴衆を引き込んでしまう真の巨匠性を感じました。

10/23  St. Bavokerk Haarlem

orgel. Jos van der Kooy 

Piet Kee Gedanck - Clanck 76

Hans Kox The Darkling Thrush

J.S.Bach Pastorella F-dur BWV590

Max Reger Fantasie ueber den Choral:"Wachet auf, ruft uns die Stimme" opus 52 nr.2

[聡]アムステルダムの西19キロにあるハーレムは美しい街です。そこの中央広場に建つ大きなセント・バフォ教会にはオランダでも有数のオルガンが備えられています。このオルガンは少年モーツァルトがハーレムを訪れた際に弾いたことでも知られています。夏のシーズンだけ毎火曜に開かれる無料のオルガンコンサートの最終回に行きました。最終回だけありプログラムも凝った物で、オルガニストとオルガンの最大限の実力を堪能することができました。

 

10/25  Concertgebouw Amsterdam

dir. N.Harnoncourt  piano. Pierre-Laurent Aimard  Koninklijk Concertgebouworkest

Dvorak Pianoconcert, Het gouden spinnewiel

J.Haydn Symfonie nr.104 'Londense'

[聡]前菜に出てくるハイドンではなくコンサートのメインに据えられる資格のある演奏。コンセルトヘボウオーケストラは、ほぼ完全にアーノンクールの手兵となりマエストロの音楽と同化していました。ヴィブラートをかける全員の左手がぴたりと止まり、独特の急激に抜くスタイルが楽員隅々まで行き渡っていて、この点アーノンクールにもオーケストラにも感心しました。ただしリズムを骨抜きにしてしまうことなど、自分の描くハイドンの世界との乖離度合いは相当感じました。

10/27  St.Nicolaaskerk Amsterdam

orgel. M.Hedley

J.Ch.Kellner Fantasie in g

W.A.Mozart Fantasie in f-moll

C.A.Franck Fantasie in C

E.F.Richter Fantasie und Fuge

[3人]ロマン派時代のファンタジーをテーマとしたオルガンコンサート。カトリックの教会だからカトリック圏の作曲家にこだわっているのかしら。フランクがなかなか素敵な曲でいい時を過ごしました。

 

10/30  Boekmanzaal

altoviool. R.Wolfe  cello. P.Doberitz  piano. J.Waleson

P.Hindemith Duet voor altoviool en cello

J.Brahms Trio voor altviool, cello en piano op.114

[聡]オペラハウス内にある小さなブックマンザールでも毎火曜日のお昼に無料のランチコンサートが開かれています。オペラハウスと関わりのある合唱団やオーケストラのメンバーによる出し物が行われていて人気の高いコンサートです。

 

10/30  Concertgebouw Amsterdam Kleine Zaal

mezzosop. Ch.Stotijn  bariton. U.Reinemann  piano. W.Brons

Liederen van Wolf

[貴久子]前回の留学で私が師事したブロンズ先生の演奏会。実力のある歌手による演奏でとても楽しめました。

10/31  Concertgebouw Amsterdam

dir. J.v.Zweden piano. D.Han  Residentie Orkest

Mengelberg Etsen van Rembrandt

Rachmaninov Tweede pianoconcert

Brahms Vierde symfonie

[聡]ハーグフィルとの呼称で我が国では知られていますが、本場ではレジテンティー(宮殿)オルケストと呼ばれているデン・ハーグに本拠を置くオーケストラです。アムステルダムコンセルトヘボウオーケストラとはまた違った方向性を持つオーケストラで、ホルンもファゴットも含め全ての楽器が暖かで太いヴィブラートをかけます。あるいは最もオランダらしい性格をもつオーケストラかもしれません。常任指揮者は10年前にはコンセルトヘボウオーケストラでコンサートマスターを務めていたファン・ツヴェーデンです。再び世界的に注目されるオーケストラに変身されることを願っています。メンゲルベルクのオーケストラ作品という珍しい曲を聴きました。オーケストラの後ろに白い幕が降りていて、そこにレンブラントの絵が映写機によって映し出されながら演奏されるというユニークな作品でした。

 

11/1  Concertgebouw Amsterdam

dir. Leonard Slatkin  piano. John Browning  Koninklijk Concertgebouworkest

Corigliano The Mannheim rocket

Barber Pianoconcert

Bartok Concert voor orkest

[貴久子]自然な伸びやかな音。うまいと感じさせない位流れがスムーズ。ブロイニングもいいピアニストだしバーバーの協奏曲もとても気に入りました。この演奏会では特にファゴットを初め木管楽器の音にほれぼれしました。

 

11/2  Concertgebouw Amsterdam

1日と同じ演目、演奏者

[聡]完璧な演奏というものからはほど遠かったのですが、返ってそれがある雰囲気を醸しだし好ましく聞こえました。

 

11/4  Concertgebouw Amsterdam

1日と協奏曲の演目だけが異なる。

L.v.Beethoven Vijfde pianoconcert

[貴久子]バーバーでは名演を聴かせてくれたブロイニングですが、ベートーヴェンでは相当緊張していたようです。2回同じ演目を聴くとこちらも少々辛口になりますね。

 

11/9  Concertgebouw Amsterdam

klarinet. Sabine Meyer  Combattimento Consort Amsterdam

Haydn Wymfonie nr.44 in e 'Trauer'

Rosetti Symfonie in g

C.Stamitz Derde klarinetconcert in Bes

Mozart Klarinetconcert in A K.622

[貴久子]ザビーネ マイヤーは「音楽があるから解釈が必要ない」。解釈ばかりが見えてしまう演奏が横行する中。ザビーネのように心があり音楽がある人は「解釈云々」などとこねくり回す必要がないのですね。現存している女性音楽家の中で特別に魅力的な存在だと思いました。美しく優しく、慈愛、包容力があり親しみと品と暖かみがある素晴らしいクラリネット奏者でした。

11/10  Concertgebouw Amsterdam Kleine Zaal

Quatuor Mosaiques

Beethoven Strijkkwartet op.18 nr.1

Schubert Quartettsatz in c, D703, Strijkkwartet in a, D804 'Rosamunde'

[聡]水面に映っているような演奏でした。

 

11/11  Concertgebouw Amsterdam

orgel. L.v.Doeselaar  sopraan. A.Grimm  Amsterdam Bach Solisten

Handel Orgelconcert in d, op.7 nr.4 'Salve Regina' Concerto grosso in d, op.3 nr.5 'Silete venti'

[3人]アムステルダム・バッハ・ゾリステンは1985年にコンセルトヘボウオーケストラの有志により設立されたバロック音楽を演奏する団体。

 

11/11  Concertgebouw Amsterdam Kleine Zaal

Carmina Kwartet  altviool. N.Christain

Respighi Quartetto Dorico

Mozart Strijkkwintet in C K.515

Brahms Tweede strijkkwintet in G, op.111

[聡]立ち上がって振りかぶって始まるレスピーギ、とてもいい曲。各人が強烈な個性をもち、かつ、こいつら一緒にごはん食べに行かないな、というような印象を受けるほど統一感がありません。ところが、そんな行き方が不思議とモーツァルトで成功していました。お互いがよく聴き合って緻密なアンサンブルを繰り広げるのではなく、まず各人のアピールがあり、その濃厚な表現力が束になって迫ってくるというようなアンサンブルの形。とっても好みのカルテットでファンになりました。

 

11/13  Concertgebouw Amsterdam

cello. Yo-Yo Ma  dir. D.Robertson  Orchestre National de Lyon

Bartok Suite 'De wonderbaarlijke mandarijn'

Lieberson 'The six realms' voor cello en orkest

J.Haydn Celloconcert in D

Gabrieli Sanata pian e forte

[貴久子]暖かい音色と豊かな音楽性あふれるヨーヨー・マ。リーバーソンのこの曲はヨーヨー・マのために書かれた曲のようで、哲学的な要素が含まれた印象的な曲。たいへんな集中力で名演でした。ハイドンは溌剌とした軽快さやウィットといったハイドン独特のものは表出されていなかったように思われましたが、終始心地よい雰囲気で聴衆を暖かい気持ちにさせてくれました。

 

11/17  Concertgebouw Amsterdam

dir. Nicolaus Harnoncourt  piano. P.L.Aimard  Chamber Orchestra of Europe

Beethoven Ouverture 'Coriolan', Eerste pianoconcert, Vijfde symfonie

[貴久子]アーノンクールはゴッホのような没頭型。古楽派とかそういったカテゴリーを離れ、彼の音楽を追究している感じがわかります。オーケストラは噂に違わず第一級でした。

11/17  Stadsgehoorzaal Leiden

dir. Frans Bruggen  piano. S.Hoogland  Orkest van de 18e Eeuw

Beethoven Ouverture 'Prometheus', Pianoconcert nr.2 in B, op.19 Pianoconcert nr.4 in G, op.58

[聡]・・・

 

11/18  Concertgebouw Amsterdam

piano. Christian Zacharias

Debussy Children's Corner Images boek 1 en 2 

D.Scarlatti 12 Sonatas

[貴久子]コンセルトヘボウのスタインウエイは今日も冴えていました。自分の世界に入り込むドビュッシーは素晴らしい。個性豊かな感覚に訴えるピアニストでした。

 

11/19  Concertgebouw Amsterdam

dir. Frans Bruggen  fortepiano. Ronald Brautigam  Orkest van de Achttiende Eeuw

Beethoven Vijfde pianoconcert Zevende symfonie

[貴久子]ピアニストのブラウティハムはオランダで今最も人気のあるオランダ人ピアニストでしょう。10年前、私の留学時それまで務めていたコンセルヴァトワールの講師を未練なくやめ、演奏家一本の道に入りました。現代音楽のスペシャリストでもあり私の敬するピアニストのひとりです。

11/21  Concertgebouw Amsterdam

dir. N.McGegan  Koninklijk Concertgebouworkest

J.Haydn Symfonie nr.99 in Es

[3人]コンセルトヘボウでも無料コンサートが毎週水曜日のお昼に開かれています。帰国前日に当たるこの日はコンセルトヘボウオーケストラでした。恐らく午前中リハーサルがあり、ちょっと休憩をした後にこのランチコンサートを披露するのでしょう。楽員は私服で、この日のランチコンサートは各楽章ごとにマクゲーガンが止めて指示を出す、というリハーサル風景の紹介でした。イギリスの指揮者が来るとイギリスのオーケストラのように端正になるコンセルトヘボウオーケストラ。優秀なオーケストラとはこのような柔軟性を持っているものね、と気が付かせてくれました。今回もさんざんコンセルトヘボウ(コンサートホールという意味です)にはお世話になりました。ありがとう。

写真

1:バーデン、温泉公園内のヨハン・シュトラウス(父)とランナーの像

2:フォルデン、ハックフォルト城

3:博物館広場から望むアムステルダムコンセルトヘボウ

4:クリスマス前限定の屋台とコンセルトヘボウ

5:ハーレム、セント・バフォ教会

6:アムステルダム、セント・ニコラース教会のオルガン

7:デン・ハーグ、ビンネンホフ

8:アムステルダムのアパートからの窓越しの風景(貴久子のクレヨン画)

9:ライデン、運河上の自家用ボートからの眺め

10:アムステルダムコンセルトヘボウ


ペトラのバースデイパーティー 2001年

 前回の留学から帰る直前、ブルージュ国際古楽コンクール、アンサンブル部門に突然出場することになった貴久子は、約3週間、それまで本格的に触れたことのなかったモーツァルト時代のフォルテピアノの練習の特訓をしました。その時に快く自身の作成したフォルテピアノと場所を提供してくれたのが、アムステルダムに住むハープシコードメーカーのヨープ・クリンクハマー Joop Klinkhamer 氏でした。彼には今回の滞在でもとてもお世話になりました。

 ヨープの自宅にあるブラームス時代の楽器をいつでも弾いてよいと自宅の玄関の鍵を預けてくれたのです。ヨープは熱心に歌を歌うので、たまにヨープと歌曲の演奏を楽しんだり、夕食に招待してくれたり、またハーグ市立博物館に一日中案内してくれたりと至れり尽くせりの歓迎を受けました。

 日本びいきでアメリカ嫌いのヨープ。機知に富みおしゃべりなヨープとの話からオランダ人の物の考え方を色々と知ることができました。彼といる時間はとても楽しく愉快な気分になったものです。

 ヨープの奥さんのペトラ Petra も若く細やかな感性をもった人で、母性があり、私たちの娘、咲子もとても好きな女性です。ペトラはケータリング会社の社長でアムステルダムの中に会食のできる場所を持っています。私たちがオランダを去る2日前にそこでペトラの50歳のバースデイパーティーがあり、そのパーティーが信じられないほど素敵なものだったのでここで紹介しようと考えました。

 11月20日、私たちの住まいから程ないペトラのレストランまで歩いて赴きました。エントランスを入るとオランダ美人がシャンパンを手に迎えてくれます。そのサロンは普段からレストランとして営業しているものではなく、予約制の会議や大パーティーをするところといったゴージャスな場所で、照明もほとんどローソクの光だけでなされていて雰囲気も抜群です。そこでワインを片手に色々な人と雑談をしていると、ヴァイオリンのチューニングが始まりました。階上から18世紀の衣装に身を固めた男女が降りてくるとバロックオペラの始まりです。ハッセ Johann Adolf Hasse の3幕もののイタリアオペラがパーティー出席者達だけのために演じられたのです。もちろんヨープの筋からの依頼ですから優秀な演奏家達です。幕間には私たちはテーブルに案内され、おいしい食事がサービスされました。その食事も18世紀のレシピに基づいた料理という念の入れようです。バロックオペラはそれから20分ほど演じられ華やかに場を盛り上げ終わりました。食事もデザートに進みます。すると、やおら男性3人によるアルゼンチンバンドが入ってきました。アコーディオン、ベース、ヴォーカル with ギターという編成で、パワフルで陽気な音楽が鳴り出します。ペトラは大のダンス好きで、招待状にも「全ての男性と踊りたい」と太字で書かれていました。もちろんペトラはさっそく踊り出します。私たちも席を立ちめちゃくちゃに踊っていると、なんとダンス講師が来て踊り方の手ほどきまでしてくれるのです。貴久子は喜びの絶頂となり興奮して踊っていました。

 咲子がベットに行く時間になったので一番早くおいとましなければなりませんでしたが、一体このパーティーは何時まで続いたのでしょう。50歳の誕生日は、日本の還暦のようなビックイベントのようですが、ここまでぶっとんだ楽しみ方をしてしまうオランダ人。人生の楽しみ方を知っているように思いました。

写真

1:左からペトラ、貴久子、咲子、ヨープ

2:オペラの様子

3:アルゼンチンバンド

4:ダンス講師から手ほどきを受ける貴久子


オランダからのメッセージ 2001年

横断歩道 〜社会のルール〜

 

 オランダで横断歩道を渡ろうと立ち止まると、ほぼ100%の車が止まり歩行者を通します。「さすがオランダ、弱者への思いやりがある」と感心するのですが、実は違う観点からオランダ人は横断歩道の前で車を停めるようです。

 オランダは平地ばかりなので自転車が幅を利かせています。左折レーン(日本と逆なので注意!)に自転車レーンが隣接し車と一緒の左折が許されているほどです。

 オランダを訪れる日本人がよく経験することですが、自転車レーンを歩いていると「歩行者が歩くな」とどなられます。また自転車レーンの左側を自転車で走行していると対向自転車が遠慮なくぶつかってくるか、「日本では左側を走るのか」(その通り!)などとどなられます(私の実体験)。

 生活している内に、横断歩道で車が停止するのは、思いやりのあるなし、とは別の観点があることに気がついてきます。

 厳然としたルールが社会を支配しているのです。

 横断歩道を渡ろうとしている人がいたら、車には止まる義務があるから止まるので、歩行者は渡る権利があるから渡るというだけの話なのです。

 日本でも同様のことが法律で決められていて、免許証を取る時にもちゃんとそのように教わりますが、これが車は滅多に止まりませんね。それどころか、歩行者がペコペコ車に頭を下げながら渡っています。自転車も、左側通行という感覚が希薄です。

 

 このように、オランダ社会の隅々にルールが行き渡っているのですが、理由はあるのでしょうか。この考え方の根には日本とは異なるバックグランドがあるようです。

 日本では基本的に隣人は仲間で同じ人種で同じことを考えているはずだ、と考えます。ところが特にアムステルダムでは顕著ですが、隣人は肌の色も違えば、考えの基本的な部分も異なる異文化人、という前提があります。

 こういった混とんとした社会を支えるのに必要なのがルールです。挨拶の仕方から細かなマナーまでマニュアルが用意されているかのごとく、皆が同じように振る舞います。表面的には日本よりもずっと杓子定規で、相手に接するときの顔の表情のつくり方まで基本的なマニュアルが用意されているかのごとくです。

 女性はヨーロッパに行くと気持ちのよい思いをすることができますが、これもマニュアルが築き上げた女性に接するマナーが全ての男性に行き渡っているからにほかなりません。

 ヨーロッパの男性も日本の男も中身は変わらないことはつき合ってみれば分かることです。マナーが整理され、上辺だけなのですが、とりあえず隣人と気持ちよく暮らそう、という努力はしかし、なるほど、私たちも見習うところがあるようです。特に「和」の精神が行き渡らなくなった現代日本にとっては...。

 

仕事は楽しく 〜反グローバリゼーション〜

 

 小さな商店も現在では世界を相手に闘っている、と言われます。地球全体が闘う相手なのですから、夜も徹して働かなければいつアメリカのスーパーがやってきてつぶされないとも限りません。家は田舎ですが、近くのスーパーは25時まで店を開けています。そこでパートで働いているみなさんは、お客様へのサービスがなにより重要ということで一点一点値段を読み上げながらバーコードを読ませています。オランダ人がこれを見て、彼らの賃金を知ったら労働者搾取に近い苦役を課されていると経営者に詰め寄るでしょう。

 「労働組合」「ストライキ」「労働三法」、本来資本主義社会に必須のこれらの言葉も今では過去の遺物的扱いを受けているようです。

 仕事をする人は誰もが仕える身であり、社長も顧客に仕えなければなりませんが、仕事をする人自身も主役であり、楽しい労働時間を過ごすことは重要なことです。

 オランダの有名スーパーチェーン、アルバートハインのレジ係は、回転椅子に座りながら快適そうに商品をバーコードに読み込ませています。郵便局でも鼻歌、口笛交じりは当たり前、客との上下関係は存在しないので、それを誰からも咎められることはありません。

 ところが、数年前までは商店の閉店時間が決められ、日曜日に店を開けることが法律によって禁じられていたそんなヨーロッパ諸国の規制もずいぶんと緩和され、好むと好まざるに関わらず彼らも世界競争の中に組み込まれつつあります。

 労働者の権利を守るための規制もどんどん取り払われ、弱肉強食の恐ろしい世の中に投げ出されることを余儀なくされているヨーロッパ社会、具体的にバカンスの取得日も減っています。

 でも、このグローバル化の流れにのまれないように、ヨーロッパ諸国は早くも考えを転換してきています。仕事に拘束される時間はもっと短く、という考えはヨーロッパ人共通の望みです。

 ラテン諸国は今でもお昼の時間帯に郵便局なども含めた店が、一斉に休み時間をとるシエスタが行われています。私たちもいかがでしょう。こんな日本の世の中の流れにいっそ自ら率先して取り残され、挙手をしてみんなで負け組に入っていく、というのは。世界みんなが怠け者になればいいことたくさんありそうです。

 

節電 〜そして星との暮らし〜

 

 無駄な二酸化炭素を排出しない!これはオランダの国是です。海面が上昇すれば全国土が失われてしまうオランダにとって環境問題はとても身近で、小学校からその教育に多くの時間が割かれています。

 「18世紀オーケストラ」のリハーサルを教会に見学にいくと、小さな窓からこぼれる明かりとスタンドに白熱灯を少しつけているだけです。これでは演奏は難しいと思っていると、練習開始を知らせるステージマネージャーが全体の明かりをつけます。こういった極まった節電をよく見ました。ところがあんなに小さな国土と人口でいくら節電をしようが、たかが知れているのが悲しいところ。

 オランダからのメッセージです。誰もいない部屋の電気やテレビは消しましょう。

 電気をつけるたびに発電所のタービンが回り、なんらかのエネルギーが消費され、二酸化炭素が排出されてゆく、と想像してみてはいかがでしょう。

 また、ヨーロッパの夜の暗さは印象的です。夜になれば幾千もの星が私たちに笑いかけてくれている(星の王子さま)わけですから、そういった星たちとコミュニケーションがとれないことは不幸なことです。

 夜の街は暗いし、商品は少ないし、お菓子の紙箱は紙質が悪くてミシン目にそって切ることさえできません。日本からオランダに行くと一見貧しいです。ルイ・ヴィトンを持っている人も見かけません。ですが、人間が生きていくために不足しているものはなにもありませんし、消費者金融が林立していたり、お金に無駄に振り回されている人もあまりいないように思われます。

 

アンネ・フランク 〜国境はいらない〜

 

 オランダの美点は?

 インターナショナルでおおらかなところをまず挙げたいです。

 大国に挟まれ、どうにかうまくやってゆくことが強いられるオランダ。人々も一人一人が国際的な感覚を自然に身につけ、どんな外国人にも気持ちよく接します。

 ドイツやフランスに留学した友人がアムステルダムに来ると、「肩の力が抜ける。ここでは自分が黄色人種ということを全く意識しないですむ」と心からの安堵の言葉が出てきます。

 江戸時代に幕府から唯一交易が許されたのも、カトリックの先鋭的原理主義的なスペインやポルトガルの宣教師と異なるおおらかさを、当時の日本人がオランダ人に見たためです。自分たちの文化が全てではなく、ましてや押しつけるものではない、というおおらかさ。時にいい加減さを伴いますが、江戸幕府に、そういった態度が安全で心地のよいものと映ったに違いありません。

 アンネ・フランクの物語にも、こういったオランダ人の思想がにじんでいます。先鋭的な考え、あるものを正しいものと判断をくだすことの危険性を、大国に挟まれ微妙な外交を常に強いられてきた経験から十分に承知していたのでしょう。

 多様性、他人を受け入れるおおらかさは、それ自体が平和への大きな礎です。第二次大戦中にドイツから逃げてくるユダヤ人を、身を賭してかくまうオランダ人の勇敢さは今でも生き続けています。

 自分の意見をもちつつも他人の意見に耳を傾ける。日ごろ近くにいるパートナーや、出会う人すべてに常に尊敬心を抱きながら接する。

 とても難しいことですが、オランダを見習って、日々努力してゆきたいことです。