「女性の愛に恵まれなかった偏屈者のベートーヴェン」。こうした彼への虚像は私たちに広く刷り込まれてしまっています。そうした誤解を解くため、今回はベートーヴェンと女性の関係を探りつつ彼の優しい側面を見てみましょう。
プライドの高いベートーヴェンは少年のころから、自然と品位の高い女性に惹かれる傾向がありました。彼の周りに登場する女性には「伯爵夫人」や「男爵夫人」などの称号がついていることが多いのです。意外とプレイボーイだったベートーヴェンは、多くの女性とのロマンスを経験しています。
障壁に立ち向かうことに喜びを見いだすベートーヴェンらしいことですが、すぐ手に入るような女性には興味がなく、婚約者がいる、夫がいるなど、結ばれる望みの薄い恋ほど熱くなるようなところがありました。ですから大概の恋は破綻することが多かったのです。しかし終局を迎えても、その失恋の痛手にくよくよすることはなく、余裕の態度を失うことは滅多にありませんでした。
そういった幾多の恋を経験してきた42歳のベートーヴェン。1812年に劇的な恋愛を経験します。この時味わった失恋はその後、鬱状態になり創作力が衰えるほどのショックを彼に与えました。「不滅の恋人」と恋文の中で呼びかけた相手は、イニシャルだけでしか文中に登場しないため、その人物がだれだったかを巡って、後生のベートーヴェン研究家を大いに悩ませることになります。現在では、フランクフルトの商人の配偶者、アントニア・ブレンターノが最有力候補として挙げられています。
他にも、私生児の出生の謎がベートーヴェンに色濃く投げかけられているヨゼフィーネ・ダイム伯爵夫人とのロマンスなど、彼が本気になった女性との恋愛ドラマは、ベートーヴェンの音楽同様劇的なものがありました。
ここではひとつ、当時の名女流ピアニスト、ドロテア・エルトマン男爵夫人とベートーヴェンとの心温まる逸話を紹介しましょう。
ベートーヴェンから「親愛な、貴重なドロテア・ツェツィーリア(音楽の守護聖女)」と呼びかけられ、作品101のソナタを「いく度となく、あなたのためにと思って作られたこの曲をお受けください」という手紙と共に受け取ったドロテアは、チェルニーやライヒャルトら同時代の作曲家にも高い評価を得ていたピアニストで、シンドラーも「ほかに並ぶ者はない」「ベートーヴェンの作品の最も奥にある微妙な点ですら、あたかも彼女の眼前にそれが書き記されているかのように、確実かつ直観的に理解した」と評しています。
ベートーヴェンの優しさを示すひとつのエピソードが、後年ドロテアに会ったメンデルスゾーンによって伝えられています。ドロテアが末の子どもを亡くして悲嘆にくれていたとき、ベートーヴェンは夫人を自宅に招待し、「さあ、いっしょに音楽で話をしましょう。」とピアノの前に腰掛け一時間あまりもピアノを弾き続けたということです。ドロテアは「私にすべてを語り、すべてを与え、最後には慰めを与えてくれたのです。」とメンデルスゾーンにその思い出を語りました。
ベートーヴェンの即興演奏は聴くものの心を奪ってしまうほど素晴らしかったと言われていますが、愛を込めた即興演奏は、どのような情熱的でロマンティックなものだったのでしょうか。
ウィーンに愛想を尽かし立ち去ろうとしたベートーヴェンの経済的な問題を解決し引き留めたアンナ・マリー・エルデーディ伯爵夫人。
ゲーテとの仲立ちをした、ベッティーナ・ブレンターノ。彼女はベートーヴェンの芸術感を言葉として引き出し、それを我々に伝えてくれています。
ピアノ製作者のナネッテ・シュトライヒャーは、後年のベートーヴェンの荒んだ生活を物心両面から支えました。
ベートーヴェンを支えた魅力的な女性たちは、彼の作品にその影を色濃く落としています。
「熱情ソナタ 作品57」作曲の動機には、ヨゼフィーネに対する熱い恋慕の情があったと思われます。ピアノソナタ「テレーゼ 作品78」の慈愛に満ちた表情はテレーゼ・フォン・ブルンスウィクを思いながら書かれたためでしょう。「エリーゼのためにWoO59」はベートーヴェンの悪筆から「テレーゼのために」が誤読されたものですが、こちらのテレーゼはテレーゼ・マルファッティと言い、ベートーヴェンが結婚を申し込んだ女性です。*
ベートーヴェンの目は魅力的で女性の恋心をくすぐるものだったいいます。超人的なピアノ演奏で女性の心をつかんでいたベートーヴェン。彼の求愛とピアノは切っても切れない関係だったのです。
「ピアニストが見たベートーヴェンの素顔」の連載は今回で終わりです。これからも人間ベートーヴェンのスケールの大きい愛、優しさや勇気など、後生の私たちが生きていく力を与えてくれた彼の音楽を追究し演奏活動をして行きたいと思っています。これまでのご愛読ありがとうございました。
*かつてすっかり定説化していた、ベートーヴェンの悪筆ゆえのテレーゼ読み違え説ですが、2009年、ドイツの音楽学者が新説を発表。
「エリーゼ」は、ドイツ出身のソプラノ歌手エリーザベト・レッケルではないかというのです。彼女の兄を通じてベートーヴェンとは親交があり、まさしく「エリーゼ」と呼ばれていたとのこと。エリーザベト(エリーゼ)はのちに、ベートーヴェンの旧友でありライバルでもあったフンメルと結婚します。フンメル夫妻が死の床のベートーヴェンを揃って見舞った話が知られています。(参考文献:4コマピアノ音楽史[ピアノの誕生~古典派編]工藤啓子著・小倉貴久子監修 ヤマハ)